最近寒くなってきました。
さみしくなる季節というものがあるそうです。
そのせいか
中野信子著
人は、なぜさみしさに苦しむのか?
株式会社アスコム
という本を手に取りました。
ナースコールで訪室すると頼まれるのはちょっとした用事で退室するとまた、直ぐに呼ばれる。
「さみしくてね。」「なかなか眠れなくて。」と夜間ナースステーションに来られる方。
これまでの武勇伝をずっと語られる方、なかなか家族がお見舞いに来ない方・・・
こんな経験やこんな患者さんにお会いしたことがあるのではないでしょうか。
病院はさみしいが溢れている場所な気がします・・・
患者さんの場合
大人にとってのさみしさは、別離だけではなく、自分の限界を知ることや、それまであった能力の喪失、心の拠り所である安全基地をうまく持つことができなかったり、見つけられなかったりすることなどをとおして、折々に湧きおこってきます(P137)
入院すると、これまで働いていた方は社会人として、他にも夫や妻、母親や父親、学生などの役割が果たせないと感じたり、今までの生活を送れないことで自分の限界を感じることも多いのではないでしょうか。
また、病院では暇な時間が増えてしまうのも色々考えてしまい、良くないと思います。
そんな中で「他人に迷惑をかけてはならない」という日本人に特有な価値観によってうまくさみしさが表現できない方がいると感じます。
さみしいけれど、さみしいと表現できないため、ちょっとした用事で頻回にナースコールしてみたり、看護師が訪室するとずっとお喋りして一度病室へ行くとなかなか出られない・・・みたいなことが生じるのではないでしょうか。
看護師も人間なので、そういった患者さんのところへ行くのは気乗りしなかったり、用事だけ済ませて離れてしまうこともあると思います。
そうすると患者さんはさみしさが軽減せず看護師が「嫌だな・・・」と思う行為を続けてしまい悪循環に陥るのではないでしょうか。
病院でさみしさを感じているのは、患者さんだけではないと思います。
看護師の場合
患者さんの力になりたいと思って看護師を目指した方も多いのではないでしょうか。
しかし、実際には
- 時間に追われ患者さんとゆっくり話をすることもできない
- ミスが許されないことも多いが、実際には全くミスしない事は難しい
- 職場が変わったり病棟を移動すると今までの知識が役に立たない
などで、自分の限界や能力がなくなったように感じることもあるでしょう。
看護師は他の職種より人の死に関わる機会も多いと思います。昔は感情を出してはいけないと言われていたようですが、看護師である前に人間です。悲しいことは悲しい。
そんなときは、まず「自分にとって大事な人を失ってしまった」「それによって自分の心が深く傷ついてしまった」という状態を、そのまま受け入れるようつとめてみることです
このとき、「こんな自分はダメな人間だ」などと自分を否定し、さらに傷つけてしまうことがしばしばあるかもしれませんが、そんな気持ちさえも、自分の心に起こったこととして受け止めていくのです(P216)
まとめ
病院では患者さんへ看護師が指導することも多いと思います。
ですが、患者さんは社会では人生の先輩であることも多いです。
時には、看護師から患者さんへ相談することがあってもいいのではないでしょうか?
誰かを頼ることは、その人に対する信頼の表明であり、相手を「自分も人から頼ってもらえた」という満足感で満たすことができるかもしれないのです(P265)
看護師だけが頑張るでのはなく、時には患者さんを頼りにしながら少しでも病院のさみしいが軽減するといいなと思います。